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地球・絵手紙ネットグループ 木下 誠

<第1話 風景事始め>

 私が小学校3年生の時でした。母親に連れられて、担任の橘先生の家に伺った時の感動を、いまでも鮮明に思い出すことができます。通された部屋の壁に、その水彩画が掛けられていました。6号くらいの大きさだったと思います。燃えるような山々が近くから遠くへ。松本平から眺められる「鉢伏山」の秋景色と思いました。子供心に「なんと素晴らしい絵だろう。秋の日に映える山々。僕も将来、こんな絵が描けるようになりたいなあ」と、しばらく眺めていました。その日のことは、絵以外は何も覚えていません。
 学生時代から大人になっても、私の趣味は風景を描くことでした。私に風景を描く楽しさを与えてくれたのは、橘先生の一枚の水彩画だったような気がします。絵手紙を描くようになって、身近なものはなんでも描くようになりましたが、私にとっては、大自然の中で足を使い手を動かす風景の絵手紙を描くことが健康の源であるように思われます。

絵手紙物語<第2話 本質を悟った原点>

 いま思い出しても、冷や汗の出る思いがする体験がありました。それは、今から14年前のことです。「退職記念に、お父さんの絵手紙展をやりましょう」という、家族の声に動かされて、横浜で『木下誠絵手紙展』を開きました。Tさんに365日出した絵手紙を中心に、約400点を展示しました。
 初日から大勢の人が見に来てくれましたが、私の心の中は不安でいっぱいでした。自信もありませんでした。本当に冷や汗をかいていました。通りすがりの画家も来ました。私は恐る恐る「プロの先生に見ていただき恥ずかしいです」と話しかけると「そんなことはないよ」指さして「これと、これと・・・」何点か褒めてくれました。
 ところがプロでない人たちの感想は異なっていました。画家が指さした絵手紙でないものに、「優しい」「温か味みがある」「これなら私にも描けそうだ」などと、気軽に話してくれました。絵手紙展の最終日には、冷や汗もどうにか治まり、新しい意欲が湧いてきました。直感的に絵手紙の本質を悟ったような、そして度胸が据わった感じの意欲でした。この体験が、私の絵手紙の原点になっています。「絵手紙は画家が褒めるような上手なものでなくても、普通の人々が感動し喜んでくれるものでいいんだ」と。それから私の絵手紙研究と、描いて描いてという日々が始まりました。

<第3話 新しい年・意欲的に>

 新しい年おめでとうございます。皆様のご健康とご多幸を心からお祈りいたします。
 今年は紀元2000年。20世紀と21世紀の橋渡しの年です。過去を風化させず、未来を切り開く意欲的な年にしたいものです。私たち一人一人の人間は小さな弱い存在かも知れません。でも意欲を持ち合うことで、大きな力となることも事実です。
 「絵手紙は技法よりも心」といつも繰り返してきましたが、「絵手紙の心」とは、自分も含め人々の心をいやすことと思っています。相手を思いやる気持、胸にたまった悩みを聴いてあげれる寛容さ、天然自然を愛する気持。そして自惚れず謙虚さを持ち、現状に満足せず常に向上心を抱き、人間関係を豊かに築いてゆく人たち、それが私たち絵手紙の仲間です。
 このような「絵手紙の心」を理解して、絵手紙をしている人々がもっともっと増えれば、新しい年から21世紀に向かって、大きな力となり、平和な文化的な心豊かな時代がやって来ると確信しています。

<第4話 花を描くポイント >

 花、植物にはそれぞれ特色があります。茎からどのように葉が出ているのか。葉の形状、花弁の枚数や形。花の色彩、茎・葉の色合い。さらに花の置かれた環境による明暗などよく観察します。いい加減にみて、すぐ手を動かして描くと、その植物と違うウソの花を描く恐れがあります。ウソを描かないように、よく観察しますが、絵手紙は植物画がではありませんから、見えたもの総て描く必要はありません。構図を頭の中で描きながら、ポイントを絞って描きます。特に毛筆で描くときは省略して描くことも考えてください。
 花をよく観察することと同時に平行して、その花から何かを感じる過程が大事だと思います。「かわいい花だね!」「艶やかな色の花だね!」「豪華な花!」「面白い形をした花だね!」「自然の色彩って素晴らしい!」「この花を見るとあのことを思い出す!」・・・。絵手紙は、写真のように現物そっくりの形に描かれなくても、上手くなくても、あなたの気持(こころ)が描かれていればそれが一番です。

<第5話 花を描くポイント−続き−>

 「この花はどこから描けばよいですか?」と、よく質問されます。「あなたの好きなところから描けばよいですよ」と返事をしますが、それでは不親切と反省して「私は花の中心から描き始めます。すべての花弁は中心から出ていますから、形もバランスも描きやすいと思います」と言い直します。「幹、枝、葉を先に描いてはいけませんか?」「どこから描いても自由です。でも私は、枝や葉よりも花が描きたいと感じたから花から描いて、枝や葉はつけたりで描くことにしています」と説明しています。
 花を描くときに注意していること。プロの画家であれば、例えば毛筆でどんな花でも描きわけられることができると思います。残念ながら私のようなノンプロは、そんな芸当はできません。ですから、私は描きたい花によって筆記用具を選ぶことにしています。
 可憐な、可愛い、繊細な花は、鉛筆かサインペンで。大柄、豪華な花は毛筆で。それらの中間に感じた花は、ダーマート・木の枝・割り箸などを使うことにしています。なお、筆記用具を決めたとき、次に決めるのは「はがき」など紙の相性です。洋紙・画用紙にするか?画仙紙・和紙を使うか?これもポイントです。

<第6話 野菜を描くポイント−思いを込めて−>

 絵手紙を始める人に、「最初は野菜をモチーフにして描くとよいですよ」と言います。それは、描き易いからという意味よりも、野菜は私たちの身近に、いつでもたくさんあるからということです。台所か冷蔵庫には何かあります。夕食の支度に買い物すると、多分野菜がありましょう。絵手紙の絵の素材は、身近か手軽さが必要です。
 さて、そんな野菜を描くポイントは、料理とも共通する気持、思いを込めて描くと言うことです。食べるということに無関心な人には味にも関心がありません。絵手紙に自分の味が出せるのは、素材に敏感な人です。どんな思いをと聞かれても、人それぞれですから一口では言えませんが・・・。とにかく、描こうという野菜に思いを込めて描き始めてください。

<第7話 野菜を描くポイント 2>

 小さい野菜、大きな野菜といろいろですが絵手紙を描くときは、実物より小さく描かないことです。絵手紙は自分の気持を表現するもの。小さく描くと実物を見ているときの気持が正直に表現されません。小さな「はがき」の紙。ちょっと大きい野菜は、すぐにはみ出してしまいますが、それでよいのです。
 大人はどうしても理屈で考え実物そっくりの形に描けないといけないと考えますが、絵はむしろ感覚的でよいと思います。実物そっくりでなくても構いません。正面から、横から、斜めから、上からと構図は思いのままに決めてください。一般的には45度の角度から描くと奥行きのある立体的な絵となります。なお、筆記用具は、その時の自分の思いにぴったりした表現ができそうな、用具を選んで線を描きます。

<第8話 野菜を描くポイント 3>

 どんな野菜も自然の産物です。よくみると複雑な色彩を持っています。色彩のポイントは野菜のもつ色彩とその野菜に当たる明暗もよく見て彩色することです。ごく簡単に言えば、三色にぬる気持です。一番明るい部分、中間の部分、暗い部分です。紙の白・薄い色・濃い色です。なお、存在感を強調するときは、陰と影をつけます。
 絵手紙は手紙。絵が完成したら、差し出すあの人に伝えたい自分の気持を文章で書きましょう。野菜の絵を描くことよりも、具体的に気持を表現する文章を書くことは、むづかしいことですね。

<第9話 絵手紙に国境はなし>

 シドニーとカウラでの旅から帰ってきました。八日間とも晴天に恵まれた楽しい旅でした。出発前は、日本でブームの絵手紙が、外国では理解され共鳴されるだろうかという心配もありました。
 ところがシドニー展の会場で、 「油絵などの絵画と異なり、日本の自然や生活のあらゆる部分が描かれて、日本の文化がよく理解できる」、「写真よりも温かい味があり、手紙としての心が伝わってくる」、「綺麗な絵の入った手紙!ワンダフル!私も受け取ったらうれしい」などの感想もあり、一緒に描いた人たちも「一緒に描いたら私も描けて自信がもてた」と打ち解けた雰囲気の交流ができました。
 カウラでの交流もより深いものでした。中学2年生29名と日本のメンバーが一対一で割り箸や毛筆を使って描き方を指導しました。皆さんの目の輝きと真剣さに感動しましたが、後半はカタコトの英語と日本語のやりとりで楽しい絵手紙が描けました。お互いの住所を交換して、これからの絵手紙のやりとりが約束されました。

<第10話 身近な器を描く 1>

 私が名古屋に単身赴任していた頃、あちこちの窯場を見学に出かけました。瀬戸・美濃・常滑・信楽・四日市。森の石松で知られた町の森焼きもありました。陶芸家も尋ねましたが、値段を聞くのが怖くて、つい小さな器しか買えませんでした。芸術作品よりも、日常使用する器に関心を持つようになったのも、その当時の見聞のお陰と思います。
 今でも大事に使っているものがありますが、作られたその地元で買ったものに、強い愛着があります。絵手紙を描くようになって、身近な陶器を描く時も、愛着心が基本になっているような気がします。また、外食をする時、いい器だなと思ったものをその場で描いたりします。その時の心理は「いいな、好きだな」という気持が手を動かしてくれるのだと思っています。

<第11話 身近な器を描く 2>

 絵手紙は雲の上の存在ではなく、生活に結びついた実用的なものです。描く対象も身近なものを何でもとらえて描きます。家庭にある器もよい素材です。この器は好きだという器を選んで描くことです。「いい器だ」、「愛着のある器だ」と思ったら描きましょう。あなたの気持が絵に出てくると思います。
 陶器は、素地は不透明で磁器に比べて渋く、あたたかい味わいが特徴としてあります。陶器と磁器によって、表面的だけでなく質量感までとらえてから描けば理想的です。
 私の場合は、磁器は硬い鉛筆か細かいサインペンなどで。陶器は毛筆、ダーマート、割り箸などを使って描いています。その結果は、ぬくもりのある器とちょっとつめたい感じの器になるような気がしています。でもどちらも私の気持です。
 器の立体感を出すには、構図を考え、45度の角度がよいと思います。そして彩色の時、器の色だけにとらわれず、器が置かれている状態と明暗をよく観察して色を付けます。影をつけるのも一つの方法です。

<最終話 難しく考えず、素直に>

 人生いろいろなことがあります。楽しく嬉しいことも、悲しく辛いこともあります。絵手紙で自分史を作ろうと、絵手紙を描いているグループもありますが、自分の絵手紙を全部集めて並べれば、人生の山坂や生き様が記録されていることでしょう。
 「絵手紙は技法よりも心」と私が言うのは、技法でその時々の心を偽って上手く描く必要はないということです。楽しく嬉しい時は、その時の気持で。悲しく辛い時は元気を出して、でも結果的に淋しい絵手紙であったとしても、人生の一こま、いいじゃないですか。
 悲しく辛いことを乗り越えた皆さん、異口同音に「私は絵手紙(の趣味)を持っていてよかった」とおっしゃいます。絵手紙と言うのは、ささやかな趣味ですが、人間が生きてゆくための心の支えという強さもありますね。

オール関東絵手紙協会 「講師のための手引き書」より抜粋(無断転載を禁じます)

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