Heart of etegami9 title
地球・絵手紙ネットグループ 木下 誠

<第1話 絵手紙文化に明るい日差しが>

 この新年にあたり、私たちの協会が編集する「絵手紙事典」が発行されます。この一冊で絵手紙の基本(コツ)がすべてわかるような、内容の詰った本が欲しいと、かねてから要望のあった声に応える企画の実現です。絵手紙を描いてみたいと思っているけれど、なかなか飛び込んでいけない人、どうぞこの本を見て気楽に始めて下さい。また、もう何年も絵手紙しているけれど、マンネリ的で悩んでしまう、とおっしゃる方も、気分を変えてこの本から前向きのヒントを見出して下さい。
 私は「絵手紙は、技法じゃない心だよ」と言ってきました。  ちょつと抽象的ですが、言いたいことは「絵というものは教えることは無理だ、自分で学ぶものだ」と思うからです。では、どうして講師をしたり、本を作ったりするのですかと質問されそうです。それは、私自身を含め、多くの絵手紙愛好家がたどってきた工夫や経験・研鐙を考え、つまるところ  『絵手紙は、コツ(基本)さえわかれば誰でも描けます。そして工夫しながら一生懸命に数を描けば、その人なりの自分流絵手紙が出来あがるものです。』と思うからです。そして、将来、絵手紙はただたんに「手紙」という意味・内容というだけでなく、実用の手紙ではあるけれど、手描きの美を加えたもっと価値の高い『私たち庶民の芸術』でもあるという評価を受けることも、夢ではありません。夢は育てるものです。新しい年も夢に向かって動いていきましょう。

<第2話 これでまた一歩、「絵手紙事典」雑感>

 春四月の新学期に間に合うように、「絵手紙事典」が発行され、皆さんの手元に届けることが出来ました。これからはどんな感想が寄せられるのか、心配でもあり楽しみでもあります。ご意見をお待ちしています。企画が始まってから約九カ月間、編集委員はじめ関係者の方々は、大変苦労をされましたが、出来上がった「事典」を見て感慨無量のことと思います。私も、百パーセントの出来映えをと、意欲を持って取り組みましたが、難しいものです。でも、合格点ではないかとホッとしています。第二部の絵手紙を担当していただいた特別講師の皆さんには、随分と無理を言って、お願いしたにもかかわらずご協力をしていただきました。心からお礼申し上げます。
 さて、この「絵手紙事典」をどのように活用していただけるか、人それぞれでよいのですが、私の希望としては、絵手紙を始めたばかりの人は、【基本編】絵手紙の描き方をよく読んで、絵手紙のコツをつかんでいただきたいと思います。コツが分かれば、後は自分流でよいのです。枚数を描きポストに投函する回数と比例して、上達するものです。また、第二部の七十九名の特別講師の絵手紙は、七十九種類の特色があることを理解し参考として下さい。ご存知のように、私たち協会の特色は、山に例えれば、富士山一つの山ではなく、沢山の山が並んだ日本アルプスのような山脈と言えましょう。どの山に登ってみよう、そして次はこの山に出かけようと貪欲に心がけて研鎖して下さい。特別講師の皆さんには、「事典」に掲載した自分の絵手紙を見て、「これで満足」と、自己満足に陥いらないで下さいと老婆心でお願いします。これから数年して、また皆さんの絵手紙を拝見した時に、今回の「事典」の絵手紙とたいして変わらない、停滞・惰性で描いている絵手紙だ、と思われないように、これからの更なる精進を期待しています。
 私が言いたいのは、私たちが夢見る「庶民の芸術といわれる絵手紙」への道程は、まだまだ厳しく遠い、ということなのです。でも、今回の「絵手紙事典」の発行で、更に、一歩進んだのですから、これからも初心忘れず、こつこつと切磋琢磨して、くじけることなく、歩いて行きましょう。

<第3話 夏が来ると思い出す>

 絵手紙を始める前までは、風景を描くばかりで、野菜・果物など部屋の中で、静物を描くという経験はありませんでした。ところが、絵手紙ということを知り、自分の趣味として、毎日描くようになりました。ある人と三百六十五日交換するようになり、外に出て風景をスケッチする時間はとれないので、必然的にその時々の野菜など四季に収穫できるものに、目が向くようになりました。
 夏が来ると思い出します。それは二十四年前の夏のことです。私は、絵手紙にはじめてのトマトを描きました。近所の農家自家製の、まだ青い色の残る形がいびつなトマトでした。そのトマトの形を描き、色を着けながら、いろいろなことを更に思い出していました。それはまた遠い遠い昔の、私の中学生の頃の、真夏のことでした。大きな戦争が始まっていました。私は五人兄弟の三男ですが、長男は海軍、次男は陸軍に学徒出陣で行方は知れませんでした。私の下に妹と弟がいましたが、父母を手伝って田畑の作業をよくやりました。当時から戦後にかけて食糧難の時代でした。中学校へは片道五キロを徒歩で通いました。学校から帰ると汗をぬぐう間もなく、野菜畑にとんで行き、赤いトマトを探して食べました。今でもそのトマトの青臭い味を、忘れたことがありません。その後、社会人となつて、あちこちに転勤して歩き、生活に変化もありましたから、その時々の体験が、絵手紙を描く時の糧となっているのかも知れません。
 最近、いちばん感じるのは、「絵を描く際のモチーフ」のことです。最初に書いた「真夏のトマト」の思い出に関連するのですが、絵手紙を初めた頃は「これを描いて見せて」と声をかけられると「はいよ」と、すぐ描いたものです。しかし、最近は「このモチーフは、感動しないから描けません」とお断りすることもあります。それは、いざ描いてみると、気持が乗るものと乗らないものがあることに気づいたからです。モチーフにより、感動するものと感動しないものがあるためです。
 現在八百屋では、一年中トマト・キュウリや茄子など何でも売っています。こんな世の中、よいのか悪いのか、分かりませんが、私は、絵手紙の絵には、季節が外れた、旬でない時期のものは、選ばないように心がけています。旬には他の季節には味わえない感動・感激があります。この感動を感じながら描いた絵は、形がヘタであっても、見る人に感動を与えるものです。その点、風景スケッチは正直です。戸外に出て、大自然の中に踏み込むと、春夏秋冬それぞれの旬の彩りが迎えてくれます。四季のはつきりした国に生まれた幸せを、いつも感動して描かせてもらっています。

<第4話 秋のスケッチ>

 夏の暑さに弱い私は、秋の季節が好きです。暑さの季節を何とか切り抜けて、秋風が気持ち良く吹いてくると、体も気力も生き返ったように感じます。この時期、あちこちでスケッチ会が行われます。私も、この時とばかり出かけます。風景のスケッチと言っても、いろいろな描き方があります。私の描き方は、年齢と共に変わってきたように思いますが、最近はあまり細かく描くよりは、感動した箇所を欲張らずちょっとだけ描くようにしています。
・つれますか?
 相模川の堤防道路を散歩しているときに、目に飛び込んできた風景です。この朝は珍しく小船も出ていました。三人の釣り人の背景には岸辺の木々、その向こうには住宅や乗用車などがみえますが、それらは総て省略して描きません。落ち鮎を釣っている三人の姿が、私の関心のポイントでしたから。
・青桐(梧桐)の種
 大きな公園の中には青桐の木が1〜2本は見つけられます。幹が緑色をしていますからすぐわかります。夏に薄黄色の小花が群がって咲き、秋になると実が熟さないうちに豆の形の種がでます。葉が枯れて落ちた枝先に、この種が揺れているのを眺めると、秋の深まりを感じ漢詩の「少年老い易く」を思いだします。
・ドングリを探して
 団栗とも書きますが、一口にドングリと言ってもシイ・カシ・クヌギ・ナラなど木の種類によって形が異なります。私が描きたかったのはコナラのドングリでした。たまたま機会があり、山梨の万力公園の森林を歩き廻りたくさんのコナラの木に出会うことができ、まだ木についているもの地面に落ちているものをスケッチすることができました。拾ってきたドングリは鉢に埋めておきましたが、春になりかわいい芽をだし、ぐんぐんと伸びています。

<第5話 今年も旅に出かけたい>

 「新しい」という言葉を聞くだけで何か「期待」「感動」「夢」という鼓動を感じます。私は平凡な日常生活の中でも大小を問わず感動があり、一日々々に退屈することはありませんが、新年を迎えた今年、心の底から湧き出る願望は「今年も旅に出かけたい」という思いです。昨年も、冬は椿咲く初島に、春は木曾路の旅をして円空仏に出会ったり、真夏には山形庄内を駆けめぐり八メートルの巻紙に絵手紙を描いたり、秋は紅葉と初冠雪を訪ねて野辺山・小諸・軽井沢に出かけました。旅は日常から離れた空気の中で、新鮮な感動を絵に描きとめることができます。その感動を絵手紙に仕上げる醍醐味は、私の生き甲斐となっています。
 さて、今年はどこに出かけようかと思いを巡らすのもまた楽しみです。六月は久しぶりに個展をする予定なので、早くテーマを決めて展示作品を描かないと準備ができない。国内でまだ行ったことがないのは戦場となった沖縄本島。もっともっと描きたいのはふるさと信州。それから・・・・と頭に浮かんできます。それにしても、大事なのは健康で足腰がしっかりしていないことには旅にも出かけることができません。年齢相応に体力は低下してきたことは自覚していますので、どこへもでかけない日は、極力散歩かウオーキングをして足を鍛えておくように心がけています。とにかく絵手紙と旅はいいものです。

<第6話 タンポポ(蒲公英)>

 春になりました。この冬は雪の多い年でした。私も北信濃の小林一茶旧宅を訪ねてびっくりしました。「是がまあついの栖か雪五尺」という俳句のとおり、旧宅の土蔵は雪に埋もれていました。でも季節は確実に変わり、暖かな季節となりました。スケッチにもよい季節です。
 地球・絵手紙ネット協会も、横浜に事務局を構えて十年。この間、郵ネットサービス株式会社には大変お世話になりました。事務局の廃止にともない、協会の組織も新しい形に変更して活動して行くことになりました。私は、過ぎ去ったことは、あまり関心がありませんが、それでも二十五年前に五十人程度で始めた絵手紙愛好者の会が、人々の支援と励ましで、現在は6000人を超える会員の組織に発展しました。本当にうれしいことです。
 ところで、これから更に絵手紙の輪をどう広めて行くのか、などなどを考える時に私の想いに出てくるのは、どこにも咲いている「タンポポ」のことです。タンポポは春の花の代表として、昔は子供たちのよい遊び相手でした。最近はそのような遊びは残っていないかも知れませんが、とにかく郷愁を誘う野の花です。花が終わると熟しきった白い穂が、風に吹かれて空に飛んでいきます。そしてその種子は、あちこちの土地でまた新しい芽をだし、花を咲かせています。私の絵手紙人生も、タンポポのような存在でよいのではないかと思っています。

<第7話 個展を開くということは>

 三年前に申し込んだ画廊で、個展を開く運びとなりました。この文章を皆さんが読んでいる頃は、もう終っているのですが、今回の個展を機会に考えたことを書きたいと思いました。前回は平成十六年に「喜寿記念ありがとう絵手紙展」と名付けた、七十歳後半の作品を展示させてもらいました。あれから七年の歳月が経ち、今回は八十歳半ばの絵手紙を展示することになりました。お陰さまでまだまだ絵手紙の現役で描いています。
 今回、展示した絵手紙は、私の「原風景」というテーマで描いてみました。個展やグループ展を開催するときは、テーマを決めて開催することが大切です。テーマは無限にありますが、「名は体を表す」と言う言葉通り、中身が具体的になります。テーマがないと、見る人に何を訴えているのか判断が出来ません。こんな人生を過ごしていますとか、こんなことを考えて描いているとか、自分の思想や哲学を表現するのもよいのでは、と思っています。私は昨年、「仏縁のふるさと」をテーマに思いを描きましたが、私の心が表現できたと満足しました。
 さて、今回の『原風景・信濃路』を描いている過程の中で、これも仏心に導かれたスケッチの旅なのだと、自覚するようになりました。信濃路の山々を仰ぎ見ながら、畏敬の念を感じ大自然に帰依して描かせていただくという謙虚な心に満たされていました。この心は子供の頃から培われたものに相違ありません。今回の個展の中にもたくさん描いた常念岳は、私の好きな山の一つです。母親によく言われました。「常念岳を拝みなさい」と。自然のあらゆるものには神が宿っているという自然信仰を教え込まれました。自然を敬い感謝する心が育っていたのです。その心はとりもなおさず私が辿り着いた仏の教えと同じものでした。
 原風景は原思想でもあったのです。三一口で言えば「仏心」です。この歳になつて漸く、私としての思想・哲学が定まったように思います。個展を開くということは、私の人生の生き方を見せることです。心身共に疲れも出るこの頃ですが、これからも私の絵手紙は形を変えながら「仏心」を描いて行きます。

<第8話 字は人それぞれの味があります>

 絵手紙には絵だけでなく文章が付きものですが、文章は字で書かれています。絵や文章のことは折に触れ話したことがありますが、「字」については余り話したことがありません。先頃開催した個展の会場で、字についての質問が数人の来場者からありました。絵や文章についての質問や感想はたくさんありましたが、字については初めてでしたから、びっくりしたり嬉しく思いました。私の字も好きだと言う人もいますが、私自身は特別に字が上手いとは思っていません。習字の練習は、小学校時代に書家の伯父に勧められて行なったことがありましたが、その後はありません。
 絵手紙を描くようになってから、どんな字を書いたらよいか、意識するようになりました。絵手紙の文章の字は、どんな字=書体が適しているのだろうかと。  そんな意図もあり、「文学館巡り」をしてたくさんの手紙・書簡・原稿などを参考に見て考えることが出来ました。
 小説家・詩人・画家など多くの人の字は、書家のような上手い字ではなく、その人でなければ書けない味というか風格のある字でありました。それは多分、毎日々々字を書き続けてきた長い歳月の結果ではないかと思います。ですから、絵手紙の文章の字は、書家のように上手い字やペン習字で習う字ではなく、素直に書いた自分流の字でよいのではないかと考えています。私が心掛けているのは、
 1)その時々、どんな筆記用具を使うかこだわっています。例えば個展での質問に「この文章の字はどんな筆記具ですか」、答えは「HOLBEINN drawing inkをスポイトにつけて書きました」と。
 2)筆記用具の持ち方を工夫しています。習慣の持ち方以外に、  包丁持ち・摘み持ちなどいろいろ試しながら書きます。
 3)毛筆は、3〜4本をその時の気分で使い分けています。筆  は一本々々個性があります。他の筆記具と異なり、毛筆は使えば使うほど手のいうことを効いてくれます。一年に数回使うだけでは、味のある字は書けませんね。
 4)絵手紙の文章は、絵との調和(バランス)を見て書きます。絵の構図・位置により絵を壊さないように、字の大小・太さ細かさを決めて書いています。空自も大事にしています。
 5)字を見る時の気持。「上手い‥下手」「好き‥嫌い」「よい‥悪い」などがありますが、私は「下手だけれど、好きな字」と言われたいと思っています。

<第9話 健康とゆとりのある一年を>

 昨年は、未曾有の大災害に遭遇した年でした。まだまだ困難な問題が山積みしています。「新年おめでとう」などと声に出すこともできません。災害地から遠く離れている、私の家に近い公園でも、0.8マイクロシーベルトの放射性セシウムが検出され、立入禁止となりました。過ぎた年2011年は、日本という国の歴史に大転換を呼び起こす年になるような気がします。地震津波からの復興は時が解決するでしょうが、人間が未だ消滅させることができない猛毒の放射性物質に覆われた国土はどうなるのでしょうか。どんな数字が正しいのか。誰が国民を救い、誰が私たちの命を踏みにじっていくのか。大きな岐路にさしかかっています。
 さて、大きな流れのなかの、小さな身近なことに思われる趣味、絵手紙のことも考えてみましょう。昨年は、横浜事務局を廃止し、センターを発足し活動をしてきました。そして9カ月経過しましたが、まずまずの実績をあげてきました。新しい企画として実施した教室講師会のメンバー122による「ザ 絵手紙展」は大盛況に終わり、今後の絵手紙活動に新しい刺激と活気を与えてくれるものと、期待をしています。そして、個々の人間としての願いについて。今年は今まで以上に健康に気をつけて生活をしてゆきたい。何よりも健康が一番です。
 もう一つは「ゆとり・余裕・間が大事」ということです。忙しいということは、その文字の形から「心を亡くす」状態ではないかと思っています。漢和大字典にも忙は「あれこれと追われて、心がまともに存在しない状態、つまり、落ち着かない気持になること」と出ていました。このような世の中、心を亡くさないよう「ゆとり・余裕・間」を心がけた人生にしよう。今年の、私の願いです。

<第10話 紙の不思議と魅力>

 書道や水墨画をえがくのに大事な用具は「文房四宝」と呼ばれています。筆硯紙墨です。絵手紙を描く用具で、大事なものは何でしょう。私は絵手紙に於ては「文房五宝」ではないかと思っています。具体的には、用紙・筆記用具・絵の具・筆・硯の五つです。最初に断っておきますが、絵手紙を描く用具は、とくにこれでなくてはいけないという決まりはありませんよ。そのうえで、絵手紙の「文房五宝(ゴッホ)」のことを考えたり感動したりしているのです。絵手紙の初心の頃は、郵便はがきやポストカードの紙を使って描いていましたが、その後日本の手紙の歴史を勉強し「和紙」の半紙・巻紙などを使う機会が増え、用具についても考えさせられるようになりました。
 今回は「紙」のことについての私の想いです。もう二十年前頃からのことです。あちこちと随分旅行をしましたが、その旅先で目に止まると必ず立ち寄ったのが、紙すきの里や紙店でした。そして手すき和紙を買いました。山陰の旅は因州和紙、宮古島の月桃紙、富山五箇山紙、越前和紙・竹紙そして山梨西嶋画仙紙・栃木鳥山紙・茨城西の内紙・埼玉細川紙等などが箪笥の引出に積んであります。お陰さまで「今日はどの紙で描いてみようかな」と楽しい選択の時間が持てます。
 さて、いつも苦労するのは、紙と筆記用具の選択です。一般的には、「西洋の紙には西洋の筆記具が、東洋の紙には東洋の筆記具が相性が良い」と言われています。ですから、画仙紙のポストカードには毛筆か割箸に墨が、郵便はがきの洋紙には鉛筆・サインペンが相性がよいことになります。
 ところが、半紙・巻紙・色紙などの和紙はその産地によってなかなか複雑多岐な特徴があり、墨との相性をみつけるのに苦労をしています。一口に「和紙」といっても、よく滲むもの、まったく滲まないものもあり、紙質が薄いものもあれば厚いものもあるという具合で、使ってみないと効果が分からないから困るのです。自分で描く場合は、工夫をしながら描き直せばよいのですが、絵手紙教室等で使用する時は、この紙でよいのかどうか悩むこともあります。
 「紙は神」という例えもありますが、紙というものの存在は確かに神秘的な不思議なむので、こうすればこうなると言うような理屈では扱えません。しかも、その紙を使う人間にも好き嫌rいという「好み」もあるから一層複雑です。結局「私は私」と割り切って、和紙と仲良く付き合って行く以外にはないのだと思いながら、新しい紙を広げて筆を下ろしてみる今日この頃です。

<第11話 愛着のある硯>

 香港へ旅行した時のことです。一回目の時はまだ絵手紙をしていませんでした。二回目の時は買物の関心が違いました。端渓硯を買いました。本物かどうか解かりませんが、鯉と渓流のような彫刻があり裏面には茶と緑青の石紋があります。大きさは、縦十二センチ横七・五センチとやや小型なので持ち運びも楽です。私の唯一の愛着のある硯としてこの二十数年使ってきました。ところが、この硯は磨った墨の量が少なく、半紙や巻紙などを使うと途中でまた墨を磨らなければなりません。持ち運びは出来なくとも、大きな硯が欲しいと思っていましたが、ようやく実現しました。
 「硯を探すならいい方法がある」と教わり、出掛けたのは藤沢市にある踊り念仏で有名な一遍聖人開基の遊行寺の骨董市です。過去にも出掛けたことは何度かありましたが、硯を探すのははじめてでした。たくさんの出店の中で三店でそれぞれ一品ありました。
 もっとも気に入ったのは、『龍渓石硯』でした。産地は天竜仙峡之産(長野県)とあり、元祖東京水谷大成堂で発売されたものでした。いつ頃のものか、業者もよく解からないとのことでしたが、硯をいれた古びた段ボール製の箱や箱書きから想像されるのは昭和初期のもののようでした。出所は誰か書家のものではないかと。
 大きさは縦十人センチ横十二センチと大型で、どっしりとした重みと風格があります。使い心地はきわめて良好で、墨と硯が溶け合うような滑らかな感触があります。最近はこの硯も、私の絵手紙を描く伴侶として大切に使っています。矢張り、愛着のある用具を使用して描けば、それなりの気分があふれた絵手紙が描けるように思います。

<最終話 筆筒を自分で作ってみました>

 絵手紙を描く時に使う用具の主なものを「文房五宝」と名付けています。筆記具(筆)・硯・紙・墨・絵具のことです。
 今回は、筆にまつわる私の思いです。私が毛筆を使って絵手紙を描くのは、感動したモチーフを「おおらかに、大胆に、力強く表現したい」と思ったときです。そのために、細い筆は使ったことはありません。軸が太く長さ二十三〜四センチ程度の毛筆を使っています。持ち方や線の引き方は、小学生の時に習った方法とは随分と変化しました。毛筆は普段使っているのは五本、その他二十本程度が、筆筒に納まっています。その時の気分(感動)  によって、筆を選んでいます。筆の個性というのか、線も字も違いがあるから不思議です。
 筆は一般的に高価ですが、手入れをよくすれば二十〜三十年も使えるので、そう思えば安いものです。筆を使った後は必ず水洗いして、よく乾かしてから筆筒に立てて眺めています。そして今日はどの筆を使ってみようかなと。
 ところで、筆筒の話です。今までは私の机に置かれていた筆立ては、花瓶や大型のグラスなどで代用したものでした。ところが、今年になってからどうしたことか、筆筒が欲しくなりました。そして、探して買うよりは、やきもので自分で作ってみようと、思ったのです。幸いなことに近所に陶芸教室がありますので、早速弟子入りして手作りの筆筒を作ることができました。形はおかしいけれど、「和風迎人」の字を配した素朴な器が一つ、私の机の上に加わりました。これからも絵手紙を描くために使う道具として、筆皿・水滴・文鎮・陶印などを手作りで作っていきたいと思っています。

地球・絵手紙絵ネット協会会報 「絵てがみの心」より抜粋(無断転載を禁じます)

mail@chikyu-etegami.net
地球・絵手紙ネットグループ