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地球・絵手紙ネットグループ 木下 誠

<第1話 肩の力を抜いて>

 子供のころから絵は好きで、社会人になってもスケッチなど時々していました。その当時は誰に教わることもなく、生活の合間に楽しみの時間として気負いもなく自由に描いていたように思います。そして、絵手紙を描くようになって約三十年経ちました。絵手紙は、文章に絵が添えられた手紙です。その絵手紙を私なりに描けるようになった経過を考えてみると、随分多くの人たちから影響を受けていたのではないでしょうか。特に、絵手紙の描き方を他人に教えるという「講師」という役割をするようになってからは、絵と書についての勉強や工夫をしなければと考えるようになりました。教室の開催、手引書の編集など、走り続けながらの勉強でした。

 いろいろな知識や技法について知れば知るほど、絵手紙について無知だった自分というものがわかり、一層熱心に取り組みました。好きだから続いたのかも知れません。その過程で「私以外、皆、私の先生」「技法より心」「謙虚」などと学ぶことが出来たのでしょう。
 しかし、この歳になり気付いたことがあります。肩の力を抜いて、自然に向かって静かに素直な心で描きたい。そしてもう進歩はないかも知れませんが。体力と気力がある間は、人に教えるというよりは気楽に自分流の絵手紙を描いていこうという思いです。

<第2話 「半見半心」という言葉>

 いつの頃からか、この言葉が気がかりとなっていました。誰の言葉だったのか、どん意味であったのかよく分からないまま、もう十年以上も経っているような気がしていました。最近、調べてみようと、有名な画家の本などを読み返したりしましたが分かりませんでした。

 私にはこの言葉がとても大事なことに思われて仕方ありません。辞書にも見当たらないのですが、「半」は「二つに分けた片一方」とありますので、「見ることが半分、後の半分は心で」という意味かも知れません。
 でも、考えてみました。絵手紙を描くときの心がけは、「モチーフに対してまず感動(愛情)、そしてよく観ること、それから手を動かして形を描く」などと言ってきました。よく観ないで手を動かす人は、うっかりしてウソを描いてしまうこともあります。また、よく観ることにこだわり、最後まで「モチーフ本物と同じような姿に描きたい」と手を動かしている人もいます。

 私も「よく観ること」を心がけてきましたが、ともすると写実的で「植物画のようだ」とか「絵葉書のようだ」という、形を優先したような絵になった気がしています。五十〜六十歳頃の絵です。年齢というものも関係しているのかも知れません。最近は、体力も衰えたのか、細々したタッチは面倒くさくなりました。そして、「半見半心」の言葉に魅せられたのかも知れません。

 結論として、私がたどり着いた「半見半心」とは「半分々々」ではなく、よくよく観たら、後は、『形にこだわらず心の中に感じたものを、自分なりに描けばよい』と言うことではないかと思いました。絵手紙の絵を心で描く。これからの私の課題です。

<第3話 「絵手紙の組織を創って本当によかった!>

 あちこちのグループで、「絵手紙展」が開催されています。私は、時間が出来る限り出掛けています。展示されている絵手紙を見、新鮮な感動を受ける喜びはもちろんですが、そのこと以外に大きな感慨を覚えることがあります。
 それは、どこの会場でも見る光景ですが、久しぶりに出会った人々が眼を輝かせ、手を握ったり肩を抱きあったりして、話合っている姿です。訊くともなく聞いていると、それぞれ離れた地に住んでいる人達が出会いを喜んでいるのです。

 絵手紙の趣味を持ちグループに所属していることが、このよぅな出会いを持ち楽しんでいるのですから。絵手紙仲間は素晴らしいと思いました。もし絵手紙の趣味を持たず、ネットグループに属していなかったら、このような広い範囲の交流の世界が出来なかったのではないでしょうか。
 「絵手紙は手紙」。差出人と受取人がいれば成り立つ趣味ですが、狭い世間をより多くの人が集まればより広い世界が実現できると考え、私は絵手紙協会の組織を創ったのは今から二十六年前のことです。今思い出すとよく動き廻ったものです。一週の五日間、或る日は午前と午後の二会場の教室を作るためすべて手弁当で移動したものです。
 神奈川、埼玉、茨城そして群馬、千葉と教室が増えてゆくたびに、今度は講師を育てることも仕事になりました。札幌や柏崎の教室も不思議な縁で出来ました。そして人が交わり、仲間が生まれ、絵手紙に限らずいろいろな事を楽しんでいるこの頃です。

 さて、紆余曲折もありましたが、当初一教室五十名の組織が、現在は四百五十教室五千名の大きな絵手紙団体に発展しました。振り返ってみれば、この組織があってこそいろいろな素晴らしい効果が花開いているのですが、組織の運営・活動もまた気力体力が必要です。でも、私は「地球・絵手紙ネットグループ」の組織を創ってよかった、とつくずく思います。絵手紙を楽しむ人々の人生のために。

<第4話 「考える秋>

 猛暑と水害の夏を乗り越えて、ようやく秋の季節となりました。  秋を迎えると、各ブロック問催の「夢展」をはじめとし、あちらこちらで絵手紙展が開催されます。自分が所属する手紙展組織外の絵手紙展も、機会があれば出来るだけ拝見することをお勧めします。
 また、最近の絵手紙という趣味の世界が、随分と多様な内容となつてきました。一見「これが絵手紙なのか」と想うようなものまで「○○○絵手紙展」と称して開催されていますが、そんな絵手紙の中には基本がしっかりしていないで、ただ新しいことをするのでは厭味な作品になつてしまうものもあります。多くの絵手紙を見て目を肥やすことが、自分の絵手紙の反省と向上に役立ちます。

 絵手紙とは「絵を添えた手書きの手紙」「その絵は画家や一部のプロだけでなく誰にでも描ける絵」というのが、私の初心でした。そして、その初心を表現する絵手紙の基本である「線・色・文」を身につけるよう、繰り返し提唱してきました。

 それから30年.年齢も30が加わり米寿近くとなりました。この歳になって、これからの自分の絵手紙がどうなって行くのか、考えることがあります。私の絵手紙は、50代60代そして70代と歳を重ねる毎に何か変化して来たように思っています。
 そして最近は、こうしなければいけないと言う堅苦しい絵手紙から少し自由になったような気がしています。それは、初心とか基本とかが歳と共に体にしみ込んでいるので、もう自由の境地で新しい絵手紙を作り出す力になるかも知れない と。
 これからは、かねてから考えている「連詩風絵手紙」「物語的絵手紙」「私の戦争体験記」などの絵手紙に取り組みたいと思っています。まだまだ夢を持っています。

<第5話 「飽きないで描く絵手紙」>

 私は、また今年も絵手紙を描いてゆく一年となるでしょう。絵手紙いう言葉が生まれた直後から始めて、もう三十年近くなります。それでも、いまだに飽きないで絵手紙を続けています。飽きないで続けられる理由はいろいろあると思いますが、絵手紙という趣味そのもの中にその秘密があるのかもしれません。
 また、私が心がけていることも役立っているような気もしています。その時々のモチーフや思いによって、いろいろな筆記用具を使い分けていること。そして、使う用紙も、「ポストカード」だけでなく日本の手紙文化の伝統である和紙各種を楽しませてもらっていることも。すると、いろいろな課題にぶつかり、工夫したり失敗をたくさん重ね、多くの人々との対話もあり、次々と意欲がわいてきます。
 もうひとつ、なんと言っても健康に恵まれて、四季それぞれの美しい自然を訪ねてのスケッチ絵手紙が、私に飽きる気持を出させない源ではないかと思っています。

<第6話 「ちょっと役立っているということ」>

  私たち地球・絵手紙ネットの絵手紙組織は、「楽しむ」「学ぶ」「役立つ」との三つの目標を掲げて活動してきました。先日も、「会員の集い」 で講演をお願いした先生とお話をしたのですが、その先生から「楽しむと学ぶことはよく分かりますが、役立つという側面から絵手紙の魅力を話されるのを始めてお聞きし大変感動をしました」とのお言葉がありました。
 私は、声を張り上げて「世のため人のために」などと大それたことなどは考えてはいませんが、最近は「ちょっとだけお役に立っているのかな」と思っていることがあります。絵手紙を始めた皆さんが異口同音に言われることは、「絵紙を始めたら、今まで気が付かなかった道端の小さな草花が、目にとまり、心がときめくようになった」という感動です。この小さな感動が、日々の生活を変え人生の活力になるとしたら、絵手紙の趣味を持つことは、ちょっとした「役立つ」ことかも知れないと思います。
 会員の皆さんと絵手紙の交流を通じ、また絵手紙展などに出かけるなど、自分の地域以外の友人も増えるのは勿論、その地の文化や特色等も知ることに恵まれました。

 また、絵手紙のクラブで、「絵手紙いろはカルタ」や「絵手紙双六」などの共同作業を体験して、性格が開放的になり、人間関係もうまくいくようになった等の話を聞き、ああよかったなあと思ったりします。家族にご不幸があった絵手紙仲間の方に、どうお慰めしてよいのか途方にくれている私ですが、しばらく時が過ぎてから、元気な声が届いてきます。「絵手紙をしていてよかった、よかった。いつまでも悲しんではいられないから」と。
 絵手紙の趣味って力があるんだな、とうれしくなります。私は、絵手紙をするようになってから「私にとって適した趣味と思ったこと、そして職業としてお世話になった郵政事業への恩返しに」と動機を話したことがあります。たいしたご恩返しはできていませんが、地球・絵手紙ネットの会員皆さんが、一年間でどのくらい切手・はがきを買っているかと、推計したことがあります。五千人で八千万円でした。皆さんのお陰ですが、ちょっとお役にたっているようです。有難いことです。

<第7話 「会報発行60号になりました」>

 地球絵手紙ネットグループでは、会員のみなさんに「絵てがみの心」という会報を発行していますが、このたび「60号」を発行する運びとなりました。毎年、春夏秋冬の季刊誌として年4回発行してきましたが、1回の休刊もせず、15年が経ちました。
 会員の皆さん、そして編集・印刷にご協力いただいた多くの皆さんのお陰です。この間、いろいろな波風もあり、苦労もありましたが、過ぎてみれば「よくぞ まあ」という感慨が、有り難く嬉しさで一杯です。

 創刊号を読み返してみると編集後記に『会報を見る、読む、そして参加することで、孤立した一人ではなく、結ばれている絆をより強くし、自分の絵手紙が更に充実するよう、編集内容も濃いものとしていきたい。あなたの会報に心を託して下さい。』と書かれています。教室で学び楽しむ人々が、バラバラの集団ではなく、「絵てがみの心」で強く結ばれる集団であって欲しい。そのためには、よりどころとなるバックボーンが欲しいという声に応えるのが、この会報発行の目的です。そしてその思いは、過去も現在もぶれることなく続いています。
 会報「絵てがみの心」は、教室会員でなくとも「通信絵手紙教室」「絵てがみの心読者の会」の会員になることで送付され、思いを共有することができます。詳しくは「絵手紙雑記帳」を参照していただき、興味のある方はぜひご入会ください。

<第8話 「感動する文章の絵手紙が欲しい」>

 厳しい暑さもやっと過ぎて、秋の季節を迎えることができました。 私は、やはり「絵手紙」の趣味に助けられ、この夏の猛暑をしのぐことができたのかもしれないと思いました。それは、早朝の散歩の折に描く草花のスケッチ、川辺や富士の寸景。家に帰ってからの彩色も、その時だけは、暑さを忘れることができたのです。また、どんなに暑い日中でも、ポストを覗き絵手紙が入っているのを確かめて、読ませて頂く時、その時間は暑さを感じないから不思議です。

 さて、私の欲張った願望かも知れませんが、最近、「感動する文章の絵手紙が欲しい」という思いがあります。絵のモチーフは、季節感にあふれ感動があるのに、文章がお義理的・形式的になってしまい、感動が薄れてしまうのは残念です。文章は絵以上に悩むことも多いことと思います。そいういう時は自分の日常生活の一端や体験を、また社会の出来事で考えたことなど、具体的に書くとよいでしょう。文章を読んだ人に「ああ、この人の思いや行動が分かって良かった。すぐお返事の絵手紙を描こう」という思いが伝わります。
 私は、自分のことを知らせるのが手紙の本質であると、常々思っています。絵手紙の文章は、「はがき」使用のときは、特に絵に添える文章と表の通信文に書く文章が大切なのです。その内容によって、受け取る人は、差し出した人の心境を知ることができ、安否も分かり、感動をするのです。

<第9話 「坐辺師友」>

 今年はどんな年となるか分かりませんが、あわただしい暮らしの中でも、絵手紙を描く時間を見いだして、描く心のゆとりを持ちたいものです。最近は「頑張らない」という言葉も流行っていますが、私は、歳相応に頑張ることも必要ではないかと思っています。頑張らないと必要以上に周囲の人々に迷惑をかけてしまうのではないかと。その点私にとっては、地球・絵手紙ネットという趣味の世界を考えた場合、とても喜ばしいことがあります。

 それは、私たちの組織の最前線とも言うべき、それぞれの教室で頑張っておられる、講師の皆さん方の存在なのです。過ぎ去った一年を振り返ってみても、教室での取り組み、会員へのご指導、各ブロックの役割、さらに「会報の購読」へのPRなど等、たくさんの具体的な事例が私の所へ届いています。「教室でマンネリにならないように、没骨法で描く方法をしました」「会報を見て、連思絵手紙に取り組んで見ましたら、とても感動しました」とか、新しい試みに頑張っている様子が伝わってきます。うれしく、有り難く、感謝しています。

 そして、「坐辺師友」と言う言葉を思い起こしました。「自分が坐る その周りにあるもの すべて自らの師匠であり友である」との意味です。地球・絵手紙ネット講師の皆さんが「坐辺師友」そのものであると、あらためて感じるこの頃です。こんな事せなことはありません。
 新しい年、私は米寿を迎えます。この歳を大切に自分なりに頑張ってみたいと思っています。

<第10話 「手紙文化を守り伝えたい」>

 春四月。種々、新しい出発があります。何かしら明るい希望を感じる季節です。皆さんにも、新しいことを考えて実行されることに、楽しいこと苦しいことなど実感されるのではないでしょうか。私も、絵手紙を始めて三十年。何か新しいことが始まるような予感がする春を迎えることができました。しかし、絵手紙という趣味の世界は、私にはまだまだ卒業論文を書くことができません。

 この春からの私の心をとらえている関心を、整理してみました。それは、絵手紙を趣味にしている人達が、どうして日本の平安時代から続いてきた手紙文化を守り継承する精神に触れる言動をしないのか、ということです。私の経歴の中に「郵便事業」「手紙の仕事」があったことと関係があるのかも知れませんが、私は絵手紙を描きながらも何時も考えてきました。

 絵手紙という新しいと言われる分野は、手紙文化の歴史からみれば、ほんの一分野に過ぎません。単に「ハガキの手紙」という一分野の手紙なのです。私は、もっと広い歴史的な「手紙文化」 の手紙を書き継承し、次の世代に伝えたいと思うのです。それには、日本の手紙文化の歴史を研究し、半紙・折り紙・切り紙・巻紙など和紙の紙を、どのような形で絵手紙にするのか、今以上に研鎖していかなくてはなりません。このことが広く周知されれば、私の卒業論文が書けそうな気がしています。

<第11話 「旅、スケッチの楽しみ(旅先の走りがき)」>

 スケッチの旅は、北は北海道から南は宮古島まで出かけました。特に、地球・絵手紙ネットの会員の皆さんが活躍している土地に全部出かけることができたことは幸せです。今回の旅は、愛知県豊橋市と蒲郡への一泊二日の旅でした。豊橋の教室には数年前に訪問しましたが、その折にはスケッチはできませんでした。

 旅先は、日常と異なり刺激が違うので、スケッチの時も充実して豊かなひとときです。あまり迷わずに、「ここだ」と思ったら、とにかく手を動かすようにして、描きはじめることが大切です。 たとえスケッチが苦手でも、何となく楽しく描いていると、通りがかりの人が覗き込んでも、最近は気にならなくなりました。

 蒲郡の街は、駅におりて駅前に出てびっくりして、目をみはってしまいました。私が三十年程前に来た古風な街は無くなっていたのです。これが浦島太郎の心境ともいう驚きでした。駅舎も駅前広場そして周辺の建物すべてが、近代的な高層建築の街でした。宿泊したホテル竹島も、高層白亜の建物でした。その昔の面影はありませんでした。そこで「まあ温泉にゆっくり入れればよいか」「マッサージでもして体をほぐせばよいか」と湯参りを楽しむことにしました。 展望大浴場からの眺望は抜群で、目の前には国の天然記念物「竹島」が眺められました。この「竹島」だけは、昔と同じ姿で三河湾に浮かんでいました。

 翌日は、海岸ぞいに歩き、「竹島」を中心に「海辺の文学館」など、二十枚のスケッチを描くことができました。帰路、豊橋市内も散策してスケッチ。昔懐かしいチンチン電車にも乗りました。 旅のスケッチの極意は「旅の走りがき」とある画家が言っていました。私も、この歳になって一番の楽しみは「旅先のスケッチ」だと思っています。

<第12話 「ダーマートグラフとの出会い」>

 私が、絵手紙を描いていることを知った、幼なじみで東大教授でもある友人の金井円君に「何か役立つのではないか」と、一冊の本を渡されました。その本は、網干啓四郎著「楽しいスケッチ・淡彩」です。 その時のメモには、一九九四年九月二十七日 金井円より、と記してあったので、今から二十三年前のことです。

 この本には、「ダーマートグラフ」という筆記用具のみを使用してスケッチが描かれてありました。そして、ダーマートが遠近、強弱、明暗、面と線等など、すべてが表現できる筆記用具だと思いました。ダーマートにすっかり興味を持ってしまいました。
 私は、早々に著者である網干啓四郎先生に直接連絡をしてお願いしたところ、快く応じて下さり、本を頂いたり又先生の個展の折には直接お話をしてご指導も受けました。いろいろな参考資料もできましたので、一生懸命に勉強をしたものです。

 そして、絵手紙に使うことを考えていました。あるとき「絵手紙にダーマートを使ってみたい」と先生にお話したら「葉書の様な小さな紙面はどうかな、でもやってみなさいよ」と激励してくれました。これが、絵手紙にダーマートグラフを使い始めた最初のことでした。先生は、私がダーマートを使うに当たり、大恩人だと尊敬しています。

 今年は、私が絵手紙を始めて三十周年を迎えました。多くの師友との縁に結ばれ、支えられて何とか「私流」 の絵手紙を描いてまいりました。私の絵手紙の特色は、「ダーマートグラフを中心に、いろいろな筆記用具を使って、絵を描くその時々の感情を表現することです。」
 この表現が出来るのも、ダーマートグラフという筆記用具を知り、勉強することができたことが、一番の奇縁ではないかと、思う今日この頃です。

<第12話 「何よりも平和がいちばん」>

 今年はどんな年となるのでしょう。昨年は日本の政治体制が大きく変えられ、私の子供時代、昭和の初期と似てきました。とても心配です。でも、国民とくに女が強くなりましたから大丈夫だと、安心もしています。

 さて、昨年十月には「木下誠流」絵手紙30周年記念展を催したところ、多数の会員及び一般の皆様のご来場を頂き、盛況の六日間を終ることができました。心からお礼申しあげます。私個人にとりましても、絵手三十年人生の軌道を振り返る機会となり有り難く思っております。その間、皆様から頂いた貴重なご感想をすべて整理できませんが、今後の絵手紙にとっても一つの指針となるのではと思い、記録することと致しました。

 (1)絵手紙は誰でも描ける「手紙である」ということ。この一つの強い流れがプレてはいないこと。
 (2)その中身は「文章が中心であること」。絵よりも相手に伝わる手紙文が善かれていること。
 (3)「絵の感動は、上手い下手」よりも、ダーマートを中心に線がその時の気持を現わすタッチが的確にでていること。
 (4)彩色が椅麗なこと。「顔彩」 の使い方、筆洗い水、彩色筆の使い方が工夫されていること。

 以上の四点が「木下誠流絵手紙の特色」ではないかとの感想が、うれしく心強く今だに続いています。重ねてお礼申しし上げます。これからも、絵手紙を描ける日々を大切に過ごしていきます。

地球・絵手紙絵ネットグループ会報 「絵てがみの心」より抜粋(無断転載を禁じます)

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