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地球・絵手紙ネットグループ 木下 誠

<第1話 絵手紙に涙してくれる感動>

 私は毎月顔を出している教室は五力処ありますが、いつもマンネリに陥ることを心配しています。それにくらべて、初めての教室やスケッチ会などの出会いでは、絵手紙を通して、新鮮な感動をたくさんいただいています。ごく最近は札幌、信州新町、鶴崎、そして文学館巡りの皆さんから「絵手紙が持つ心と心のときめき」を、更には涙を流しての感激をいただきました。こんなにうれしいことはありません。
 私の絵手紙や話でも涙を流すほどに受け取ってもらえたのかと、私も目頭が熱くなります。有難いことです。お役に立ててうれしいです。これからも現状に甘んじず、絵手紙というものの本質を更に追求していこうと思いました。

<第2話 心の奥底をのぞくことも>

 私の探し求める「こころ伝える絵手紙」の旅は、まだまだ続いています。この度、何か心の奥底に眠る郷愁のような呼びかけで、神話の国でもあり神仏の霊場でもある、伊勢・熊野三山の旅に出かけました。
 伊勢神宮そして熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社に詣でましたが、スケッチすることはできませんでした。ようやく二見が浦、瀞八丁、那智の滝、その他の観光地で描くことができました。考えてみれば、子供の頃からお宮、お寺、お地蔵様そして道祖神さらには気高い山々に、手を合わせ頭を下げたものでした。八百万の神々や仏は、私たちと共に住んでいました。これが日本の文化でした。この文化が、今、絵手紙を描く私の心や体を育ててきたのです。「こころ伝える絵手紙」の「こころ」は私の心です。表面の心だけでなく奥底にある心までも絵手紙に表現できるようになったら、本物になるでしょう。いろいろ肌で感じ、考えることのできた旅でした。

<第3話 十人十色をもっと大事にしなくては>

 この春、協会の特別講師が主宰する絵手紙展を数ケ所、見学させていただきました。十人十色の絵手紙でとても嬉しく感動をしました。感動の中味は「素直で、初々しく、懸命で、そして温か味と優しさのある絵手紙」がたくさん展示されていたことです。逆の言い方をすれば、見る人を驚かしてやろうとか、他の人よりも目立つように描いてやろうとか、肩を張って力んで描いた絵手紙がほとんど無かったことです。私だけでなく、その場に居合わせた人たちも「何となく気持ちが落ち着き、ほのぼのとした雰囲気の絵手紙展ですね」「自分の気持ちを素直に表現した絵と文章は、拝見していて疲れませんね」などと感想を洩らしていました。もともとプロの画家が描く絵画と異なり、絵手紙を描く動機・目的は  「あの人に手紙を出そう」という日常的なものです。平凡でいいのです。
 絵手紙が日本の社会に認知されて三十年位経ったでしょうか。そして、絵手紙のレベルが高くなったとか、未だに低いとか、評論家は勝手なことを言っているようですが、迷惑なことです。「絵手紙は手紙です」。従って「絵」の評価ではなく、手紙という文化の観点からの評価をして欲しいのです。手紙は、人の顔が皆異なるように十人いれば十種類の手紙が書き上がるのが当たり前です。そして、差し出す相手もそれぞれ違うのです。だから全員が同一の手紙では用が足りません。一人一人が違った絵と文での絵手紙でいいのです。
 絵手紙教室は、講師や友達から刺激を受けて、自分の絵手紙をより自分らしい味を出せるように勉強する場であり、楽しく交流する時間でもあると思います。講師は先ずその時のテーマに合う絵手紙を自分で描いて見せることです。そして、生徒は講師の絵手紙を参考に、あくまでも参考に、自分の感性で描くことです。その結果が、講師の絵手紙とは異なる作品になってもかまいません。講師の絵手紙が絶対ではないのです。これからは、自分とは違うその人特有の性質・性格を、お互いに認め合い、絵手紙という絵と文の手紙を措き、人間関係を楽しく充実していきたいものです。相手を尊重するということは、自分を認めてもらうことです。十人十色が大事という意味を、今一度考えて、いただきたいと思います。

<第4話 受け取りてくれる相手がいること>

 今年の夏は異常な暑さの連続でした。たくさんの人から暑中見舞や残暑見舞いの絵手紙を貰いました。お会いした皆さんからは「お元気そうですね」と言われました。でも、外見は元気でもいささかパテ気味でした。涼しくなってからやっと落ち着いて物事を考えることが出来るようになりました。
 毎月たくさん絵手紙を頂いています。いろいろな絵手紙です。年の初めに、頂いた絵手紙は全部絵手紙の返信を出そうと考えました。そして冬から春へと実行してきました。ところが今年の暑かった夏の実行率は50パーセントで、まだ返信できてない絵手紙が残っている有り様です。夏パテを直して何とかすべてご返事を出そうと、取り組んでいるところです。
 返信絵手紙だけでなく、私から差し出す絵手紙もあります。そして、今日も絵手紙を描きながら、大事なことを暑さにまぎれて忘れていたのではないか、と心が痛みました。私は、絵手紙を描く時、描かせてもらう物をよく見て感じて、心を込めて描くようにしています。でも、よく考えてみると、『この絵手紙を受け取ってくれる相手がいるからこそ、描くことができるのだ』ということでした。絵手紙も手紙。私一人では手紙は成り立ちません。相手がいるからこそ人間関係が豊かになるのです。
 これからも、私の絵手紙を受け取ってくれる相手がいる限り、描くことが出来ます。その相手を大切にして、心から幸せなことです、有難いことですと感謝しています。

<第5話 テーマを決めて描く>

 今年は、平成二十年となります。昭和の時代はもうふた昔の遠くになりました。過去から現在と、反省を込めて振り返ることも必要ですが、私は相変わらず「これから先のこと」に夢を持つことにします。夢の一つは、「絵手紙の趣味は、昭和の時代に始まったけれど、これからどう発展していくのか」と希望に満ちた夢を持ちたいということです。
 昨年、第6回「夢追いかけて絵手紙展」を横浜で開催しました。とても盛会で会場は大賑わいでした。展示された絵手紙については、来場者の評価はおおむね好評で「大変レベルアップしている」「絵がとても上手くなつた」との声が多く聞かれました。このことは、この数年絵手紙研究会の各講師が情熱を注いで講座を行った努力の成果ではないかとうれしく思います。
 私も毎日、展示されている絵手紙を拝見したり、「私の絵手紙どうでしょうか」などと出展者本人の質問にお答えしたりしました。然し、絵手紙展が終り疲労も回復した数日後、心の中に何か空しさというのか物足らなさのような感情が残っていることに気付きました。それは、『私たちの絵手紙は、本当にレベルアップしたのか。これでよいのか。』という疑問でした。確かに絵は、とても上達したと思います。でも、絵手紙は、絵だけでは成り立ちません。絵と文章が結合された手紙ですから。「この人の文章に感動しました」「このような文章を貰ったら感激します」そして「生活の様子がよくわかりました」などという感想が欲しかったのですが、残念ながら聞くことが出来ませんでした。
 そして今年の私のテーマは、「絵手紙の絵よりも文章にを入れよう」ということにしました。独り善がりで絵を描き文章を考えるのではなく、絵手紙を受け取ってくれる相手の人を常に思いやる心で何時も文章を考えるということを、忘れないようにします。

<第6話 持ちつ持たれつ −絵手紙文化を後世に−>

 郵便事業は昨年十月からなかば強引に民営化され、郵便事業会社と郵便窓口会社となりました。民間会社となってからの事業運営やサービスをみると、たいへんな苦労をしていると聞いています。これから将来に向けてどうなっていくのか心配しながらも、絵手紙をたくさん描いて郵便ポストに投函して見守りたいと思います。
 絵手紙を趣味とする私達にとって、郵便制度はなくてはならない存在です。絵手紙をどんなに一生懸命に描いても、受け取る相手に届ける送達手段が無ければ、思いは届きません。郵便制度が安全・確実に全国あまねく届かなくては困ります。私達の絵手紙、そして手紙文化は、郵便制度によって支えられているのです。また逆に、絵手紙やその他いろいろな手紙類がたくさん差し出されないと、郵便事業は赤字となり経営は破産します。従って、郵便事業は手紙文化によって支えられているとも言えましょう。
 さて、現状はどうでしょうか。郵政公社になる前は、普通局には郵便課に事務局を置く「絵手紙教室」があり、絵手紙の勉強や交流が行われ、貯金も簡保も利用する「郵便局ファン」が組織されていました。最近は一部の局を除いて潰れてしまいました。郵便局の会場も借りられない状態となっています。このような状態でよいとは言えません。持ちつ持たれつの関係で、手紙文化が発展し郵便事業が守られてこそ、日本文化の未来に希望が持てるのだと思います。たいへん固い話となりましたが、添えてある絵手紙は、ちょっとした気楽な気持で描いた絵手紙です。普段着の絵手紙と申しましょうか。何か疲れが取れます。

<第7話 モチーフの選定が大切 -何でも描けばよいのではなく->

 絵手紙を描く時、絵の素材としてモチーフは天然自然の産物を中心に描かせていただいています。お手本や写真を見て描くと、形だけの絵となり、描いた人の心が表現できません。天然自然の本物こそ絵を描く時の私たちの偉大な教師です。外に出かけて描くスケッチにしろ屋内で描く静物も、この偉大な教師に導かれてこそ、自分の心が表現された絵が描けるのだと思っています。
 最近、私は、絵手紙の絵を描く時の心構えには、いろいろな技法の勉強よりも大事なことは、「まず何を描こうかと、自分の意思で素材を選ぶことではないか」と思うようになりました。何でもよい、ただ描けばよいという漠然とした気持ちで描くのでは、何の感動もない絵手紙になってしまいます。絵手紙教室等で時々見かけることがあります。「今日は何を描くのですか」と、素材として持ってきたものを見させてもらいます。見ると、古くなった柏餅。柏の葉なんかくしゃくしゃで判断もできません。「こんな柏餅のどこがよいのか」と私には理解ができません。
 また、「途中の道端で摘んできた」というタンポポの花。花弁も取れ菓も枯れて無惨な状態でも平気な様子。私は絵心が沸いてきません。ほんの一部の例なのですが、「描かせてもらう素材の選定」についてもう少し、こまやかな感性が欲しいと感じました。野菜・果物・花そして器等の素材をモチーフに絵手紙を描くことが多いのですが、その絵の成否は先ずモチーフの選定いかんで決まるのではないか、と思います。幸い日本は四季という天然自然の産物に恵まれています。旬という言葉や中味を生かした素材を選定したいものです。そして、その素材・モチーフに愛情を持ってもらいたいのです。そういう姿勢とか心構えが、本物がよく見え、あなたの心の表現が生まれてくるのではないでしょうか。

<第8話 絵手紙は何故飽きないのでしょう>

 私たちの絵手紙協会の歴史が20年となりました。来る十一月十六・十七日に『20周年フェスティバル・イン箱根』会員の集いを盛大に開催します。協会の発足以来幾多の山坂がありましたが、今や組織は全国組織に発展し、会員も北海道から沖縄まで約六〇〇〇名を数えるまでに発展しました。その間、多くの人々からいただいた物心両面のご尽力の賜物と感謝する次第です。
 さて、それにしても「絵手紙は何年続けても、飽きないものですね」と不思議そうに、あるいは驚きをもって言われることがしばしばあります。私も同様です。二十数年毎日のように絵手紙を描いて来て、まだまだ飽きません。この機会に、考えてみました。二つの側面があり、或いはそれが絡み合って、飽きるという気持を遠ざけているのではないでしょうか。
 一つ目の側面は、絵手紙をする人の、本人自身の問題です。絵手紙をするようになって、人間が変わってきたのです。そして毎年毎年変わっているのです。絵手紙に描くモチーフは同じものでも、描く人が変われば、マンネリも惰性も無く飽きることもありません。精神的な若さを持つ人生の秘訣です。具体的には、「絵手紙が好き」という心情がある、大自然に対して感動を持つ、好奇心や新しいことに意欲がある…。
 二つ目の側面とは、自分の外からの刺激です。  絵手紙の趣味を続けると、お友達が次々とできます。そして絵手紙をたくさん貰うようになります。返信の絵手紙を描く機会も多くなり、その間いろいろな刺激を受け、工夫・勉強の必要に迫られます。
 「自分の絵手紙は、この程度で完成だ」などと自惚れておれません。「もっともっと納得できる絵と文章を入れた絵手紙を描きたい」と思うのです。『私以外は皆私の先生』『自然は偉大なるわが師』です。

<第9話 私の嬉しい「初夢」>

 新しい年を迎えて、私は明るい希望のある夢を持つことができました。
 昨年は「郵便と文化」というテーマでの有識者メンバーの一人として、研究会に参加し、郵政事業の営利性と文化は両立するので、絵手紙などの手紙文化をさらに充実させるよう、報告書がまとまり、郵便事業体に提案することができました。
 また今年は、引き続き「個人通信の新しいシステムの創造」というテーマの有識者検討会のメンバーに選ばれましたので、絵手紙の年間を通しての有効性などを提言し、三月末の報告書作成に向けて頑張っていきたいと思います。
 特に私が提案したいのは、文章だけの手紙は「オールドメディア」であるけれど、「絵手紙は、ニューメディアですよ」「この絵手紙を多くの人が、趣味だけでなく日常の実用の通信(手紙)として便ぅようになれば、例えば一千万人の人々が使えば、郵便切手の収入はどの位となりますか」「そうすれば、日本の手紙文化を後世に伝えることが出来ますよ」「郵便局さん、頑張ってください!」ということです。
 私は、この歳になっても、手紙の本質に関わる「通信と文化のあり方」や「新しい個人通信」を研究する機会を与えられ、まことに幸せを」と、感激しています。このことも、私が絵手紙を続けてきた絵手紙効果の一つであり、有り難いことです。今年もまた新しい夢を持ってスタートが出来ました。夢は希望です。私共は、夢がある限り生き生きと生きることが出来ると確信しています。
 さて、新しい年、どんな社会情勢の年となりましょうか。ともあれ、私たちには絵手紙という心を豊かにする力があります。

<第10話 こころを枯らさないように>

 春四月。世の中は、100年に一度の大不況到来と騒然としています。でも、梅は咲いたか桜はまだかいな柳なよなよ風次第山吹や浮気で色ばっかりしょんがいな」という俗謡もありますが、人間の世界に比べれば、自然界は悠々としかも余裕すら感じられます。絵手紙を愛好する人々もまた、外の世界はともかく、人間の豊かさは物質的な世界だけでは得られないよとばかり、春の季節を迎えて、絵手紙を描く余裕を楽しんでいることと思います。
 さて、春の新学期を迎えて、私自身新しい視点で思うことがあります。それは、「私の絵が変わったのではないか」ということです。若い頃の絵と最近描く私の絵が変わったという人がいますが、私自身もそう思っています。確かに若い頃、或いは絵手紙を始めた頃の私の絵は、几帳面に細かにそして正確に描いていました。最近の絵はどうでしょうか。モチーフの本物をよーく見て見て見て、そして感じて、手を動かしていますが、紙の上に描かれる絵は、大雅把で単純でしかも不正確な絵となっているように思います。
 「絵は、変わって当然」とも思います。人間、歳を重ねればものの考え方や見方も変わるのですから、絵も変化するのも当然からも知れません。絵手紙の絵も十年、二十年描いていれば、変わらないのは不自然です。特に絵手紙に描く絵は、その人の才能をどうこう言うよりは、むしろ経験が大事なのかも知れません。人生経験と色々な絵を描く経験が、味のある絵手紙、私が言う「こころ伝える絵手紙」が描けるようになるのではないでしょうか。
 月一回の絵手紙教室で、一枚か二枚を描いている程度の経験では実力はつきません。せめて、一日に一枚は描くという意欲、好奇心、情熱があれば大丈夫です。歳と共に経験が生きてくると思います。但し、歳と共に体力は衰えてくるのは仕方ありませんが、こころはいつまでも若々しく枯れないような、生き方をしたいと思うこの頃です。皆さんお元気で!

<第11話 知床は雨でした、感動を求めて北の大地へ>

 絵手紙を描く感動を求めて、北海道へやって来ました。女満別空港からバスで、二十五年振りの知床半島ウトロヘ。空港を下りた時から、雨が降っていました。でも車窓から眺める北の大地の雄大さに先ず感動。この感動があれば手が動いて絵が描けるから不思議です。
 網走湖、涛沸湖、斜里、ウトロへとスケッチが続きました。車外は雨、雨々が降り続いていました。私たち人間の生活の中に、どれだけ「感動」というものがあるのかと考えることがあります。天然・自然から、そして自分以外の多くの人間から、どれだけ沢山の感動を受けていることか。その感動が絵を描かせているのかも知れないと、歳をとるに従って思いが強なりました。自然はすべて美しい。しかし、感じなければ絵心は生まれないのでしょう。
 私に絵心があるとすれば、その感覚はふるさと信州の自然によって育てられたものだと思います。そしてその感覚が、さらに絵手紙というものに活かされたのは、北海道の大自然だと痛感しています。ウトロの三日間は連日雨が降ったり止んだりの天気となりました。でも雨もまた自然現象です。斜里岳、羅臼岳も見えませんでしたが、霞む海岸線の変化、そして雨に洗われた木々の美しさ。知床五湖の雨情。野性の魔のたくましさ。たくさんの感動がスケッチに残り、満足の旅となりました。

<最終話 長生きの秘訣は、静と動の趣味でしょうか>

 どうしたら八十歳過ぎまで、長生きできるのでしょうか。私も今まで、いろいろな本を読んだり考えたりしてみましたが、六十〜七十歳代の作家が書いた所見は、あまり信用できませんでした。私自身の人生を振り返って、波潤万丈の過去だったと思っていますが、若い頃は二十一世紀までは到底生きられないだろうと思っていました。五人兄弟の中で一番虚弱体質だつたのですから。ところが何と、今年は二〇〇九年、八十二年も生かさせてもらっています。
 さて、私が言えることは、自分の年齢までのことです。それは事実ですから。八十歳以上まで私が生かされている原動力は何なのでしょうか。科学的証明などはありません。私の思いです。先ず第一に思い当たるのは「絵手紙を趣味にしたこと」です。手前味噌と言われるかも知れませんが、私は真実だと実感しています。
 絵手紙の趣味と長生きはどうして関係するのでしょうか。新しいことに挑戦してゆく意欲と夢があるからです。新しい友が増え、楽しい刺激と欲求が湧き出るので、艶やかさが消えないことでしょうか。左脳だけではなく右脳が活性化するのでしょうか。手を動かし足を動かすことが多いからなのか。これが絵手紙という「静の趣味」の有り難さだと感じています。
 もう一つの「動の趣味」も長寿の原動力として、考えるべきかも知れません。「静の趣味」だけでは、体力の維持という側面が欠けるのではないでしょうか。私はスポーツマンと言われたことはありません。「お祖父ちゃんは、中学時代剣道二段をとったよ」と話すと、孫たちは本気にしません。社会人になってからも、特にスポーツの趣味はありませんが、定年後は一日八千歩は歩こうと、ウォーキングは心がけてきました。ゴルフを始めたのは四十歳の時です。今でも月一回「八十歳のゴルフを見てくれ」と後輩の皆さんと出かけますが、スコアは良くありません。
 でも近年、山岳コースでは、体力の減退を感じるようになってきました。そんな時、たまたま目に飛び込んできた「動の趣味」がありました。それは、「パークゴルフ」  でした。今は、週一〜二回プレーに出かけます。半日プレーして体重測定すると二キログラム減っています。食事をすれば元に戻りますが、新陳代謝に最適です。そして、新しいなごやかな人間関係もできました。新しい「動の趣味」の魅力は、またの機会にお話しすることとして、皆さんもどうぞ、「静の絵手紙」と「動の趣味」をお持ちになって、人生長生きを楽しみましょう。ただし、「多趣味は無趣味!」ということもお忘れにならないように。

地球・絵手紙絵ネット協会会報 「絵てがみの心」より抜粋(無断転載を禁じます)

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