絵手紙雑感 II

<第1話 絵手紙のある人生>

 新しい年が来ました。皆様のご健康を心からお祈りいたします。
 また、イラクをはじめ地球上から戦争が無くなるように、景気が回復して失業が無くなるように、祈りたいと思います。
 さて、私の趣味の一つに『読書』があります。月平均三~四冊の単行本を読みます。このところの読書で「わが意を得たり」と感銘した本を紹介したいと思います。安野光雅著「絵のある人生」(岩波新書)
 私は、この人をNHKの教養番組に出たりしている流行画家と思っていましたが、この本を読んで認識を新たにしました。芸大(美術学校)を出ていない画家であること。「美術に上下の区別なし」「絵は、生きていくための伴侶です」「想像では自然に追いつけない」……絵手紙の基本に関係する考え方が述べられています。
 「絵心が無いから」「基礎ができていないから」と謙遜気味に言う人に一言。「石膏デッサンとか構図の取り方などが本当の基礎ではない……」「描く理由というのが、絵を描く者には大きなエネルギー、そして意欲になつています」「そもそも、絵を描く方法は教えられないものだ、と思った方がいいのです」「基礎云々よりも、自分の個性的な見方を掴むことのほうが大切」「線や色、形の問題は基礎でなくはないけれど、本当の基礎は、心の中にあるもので、絵が好きという心情にまさる基礎はありません」と。この著者は「絵はプロよりも素人っぼさがいい」と語つているように思えました。

<第2話 趣味が持てて幸せ>

 「桃、栗三年 柿、八年 柚子は……十三年」という子供のころから聞き覚えた言葉を思い出します。そして、私の絵手紙はいつの間にか二十年、と感慨無量になります。
 私は幼少のころ体が弱く性格もおとなしく引っ込み思案でしたが、その後いろいろな経験を積んだお陰で大分たくましくなったと思っています。でも、絵手紙の趣味を始めてから、更に人生のプラスアルファーが追加されました。出かけることが億劫でなくなりました。予定のない日も、「何処かへでかけよう」、何か新しいこと、楽しいことがあるような期待感が沸いてきます。実際出かけると、新しく「大正ロマン風」の居酒屋ができていたり、行きつけの「蕎麦屋」で思わぬ有名人に出会いご馳走になったり、画材屋ではキョロキョロと眺めて楽しんでいます。外出すると必ず期待に違わず、何かしら新しい発見があり、その場で絵手紙を描くこともできます。小さな旅をしても、絵手紙をするようになってから、遊山と共にスケッチができる楽しみが加わり充実した旅となりました。
 人との出会い、付き合いが、私の財産となりました。絵手紙を始めてから出会った人はおおよそ一万人になりましょうか。まだまだ、「今日はどんな人に会えるかな」と期待して出かけることがよくあります。私の座右の銘は「私以外は、皆、私の先生」。絵手紙でも心がけてきました。そして、絵手紙の趣味は対人関係を通じても、いちだんと私を謙虚な人間に育ててくれました。有り難いことです。
 絵手紙はその人の人柄が正直に現れます。思いやりのある温かい味のある絵手紙を描いている人に、また今日も会えると思うと、朝からこころ明るく楽しくなります。人生を生きてゆく中で「絵手紙の効果」はまだまだ沢山あります。また機会をみてお話しましょう。

<第3話 協会誌「絵てがみの心」創刊20号に想う>

 会報『絵てがみの心』は、私の分身のような気持を持っています。心を込めて育ててきたが、これからも丈夫に成長して欲しいものです。『会報』は協会のバックボーンであると共に、人間の体に例えれば『血液』 であると思います。心臓から送り出される新鮮な栄養のある血液が体の隅々まで届かないと、何らかの病気になります。脳硬塞、心筋梗塞・・・血液がドロドロになると血管が詰まってしまいます。血液はサラサラでないといけません。『会報』の中身も栄養たっぷりでサラサラでないといけません。
 『会報』は20号となりましたが、私達の絵手紙の趣味はどう変わったのでしょうか。「先生、私の絵手紙、何年経ってもちっとも上手にならなくて」と言われることがときどきあります。でも、先生と呼ばれる私が見せてもらっているその人の絵手紙は「随分と上達している」と思うのですが。その人の言う「上手」とは 「画家のような上手な絵」ということでしょう。私の「上達」とは「あなた自身の味(心)が出るようになってきた」という意味です。絵手紙の絵は、プロの画家のような上手い絵でなくてよいのです。
 誰でも描ける絵手紙は、絵を描くのが目的ではなく、手紙を書くのが目的です。この基本を変えたくないと思います。歳月は、人間も歳を取っていきます。絵手紙はどんなに歳を取っても、生き甲斐として楽しむことができる趣味だと思います。ただし、「意欲」を失ったら終わりになりますよ。

<第4話 憧れのモチーフを描く>

 二泊三日の山旅から帰って来ました。山の天気は変わりやすく、一日目は時々山の姿が見えましたが、後の日はほとんど雨か霧でした。白馬岳を中心に山々が連なる北アルプス後立山連峰や高山植物を描きたい、そんな欲求につられて出かけた旅でした。
 帰宅した私のリックの中には、「はがき」に描いた二十九枚の絵が入っていました。一日目に栂池高原から描いた小蓮華岳・白馬岳・杓子岳・白馬鑓ケ岳・唐松岳・五竜岳・鹿島槍岳の山々。二日目、雨飾山麓の小谷温泉で描いた岩山の露天風呂など。そして三日目、雨の切れ目に描いた五竜アルプス山野草園の高山植物、コマクサ・タムラソウ・オヤマリンドウ・ワレモコウなどの花々。初秋の山の天気は仕方がないとして、私には至極満足の旅でした。また、描いてきた絵手紙の中には、他人から見たらどうでもいいようなものでも「自分なりに気に入ったいい絵だ」と思うものもあります。ちょっと恥ずかしい気持ちもありますが、自分で自分の絵に惚れることも必要なことです。
 絵手紙を始めて二十五年。目に付いたものを手当り次第モチーフにして描いてきましたが、最近になって、「これ描いてください」と言われて、どうしても気が向かない時があります。義務的とか仕方なくとかの気持では描けなくなりました。私の絵手紙に描くモチーフの中で一番好きなのは『山の風景』ではないかと感じています。
 絵は『憧れ』を描くものと言われています。わあ、いいな、と感じる風景。美味しそうな果物。楽しそうな人物。そこには私たちの憧れや夢があふれています。感動したら何でも描く。それはそれでよいのですが、自分を飽きさせない生涯のモチーフとして何かを選んで持つことをお勧めします。結局、夢中になって描いたものが人の感動を呼び起こすのだと思います。

<第5話 ただただ返す返す、初心を忘れるべからず>

 新年おめでとうございます。新しい年もお元気で笑顔で過ごせるよい年でありますようお祈りいたします。
 古くから「一年の計は元旦にあり」と言いますが、新しい年を迎えるたびに過ぎ去った一年を振り返り、思いを新たに進みたいと祈念します。「万物流転」 すべてのものは変化発展すると、ギリシャの哲学者は言いました。実は、「絵手紙」というものも時代と共に変化発展するのです。さて、新しい年に、私が言いたいことは、ただ、変化発展はするけれど、絵手紙の初心を忘れてはいけないと思っています。
 正直に白状しますと、私の絵手紙活動の基本となる理念は、六百年前に書かれた『風姿花伝』という書物(能楽を大成した世阿弥が父観阿弥から教え諭されたことをまとめた文章)に影響されているということです。
 例えば「初心忘るべからず」です。この言葉は誰でも知っています。観阿弥はとくにこの言葉にこだわっていました。私もこだわっています。『絵手紙は手紙です』。絵手紙展などで、「奇をてらうもの・目立ちたいもの・手紙では出せないもの」などが展示されているのを見ると、初心を忘れているのではないかと思うことがあります。

<第6話 新たな旅の前に>

 絵手紙を始めていつのまにか25年の歳月が流れました。「心を伝える絵手紙」を目標に描き続けてきましたが、昨年11月に横浜・そごうで開催した個展「ありがとう絵手紙展-木下誠25年目の絵手紙展」で多くの皆さんから「心が和らぐ」「静かな安らぎを感じる」「自然に対する謙虚さが伝わってくる」とか、どの絵手紙を見ても「優しさ」を受けとることができるなどの感想をいただくことができました。
 又、絵に添えられた文章(言葉)に感動したという感想もいただきました。お世辞でもあるでしょうが、素直に受けとらせていただき、「心伝える絵手紙」が伝わったのかなとうれしい限りです。そしてまた、展示された絵手紙が散逸するのが惜しいとの声があり、「絵手紙心の旅」として出版する運びとなりました。ほんとうにありがたいことです。
 なお、出版社からはそれぞれの絵手紙についての解説文をとの要請がありましたが、絵手紙は他の絵画とは異なり、手紙ですから、必ず文章が記入してあるのでコメントはいらないと思いました。でもその後、私の風景絵手紙を見て、その土地に行ってみたくなり出かけてきました、というお話を聞き、スケッチの場所、その時々の心境など若干の文章を添えました。このささやかな作品集が参考になり、絵手紙の中に風景絵手紙が増えていくことになれば、こんなにうれしいことはありません。私にとって一つの旅が終って、ここからまた新たな絵手紙の旅が始まるのだと思っています。

<第7話 人間の姿が見える絵手紙>

 「絵」は十人十色でそれぞれ楽しませてもらっています。でも、「絵」だけでは正確にその人の気持は伝わってきません。やはり絵手紙は、「文章」が命なのだ!と思います。
 「心伝える絵手紙」は、添えられた文章を読むと、その絵手紙の向こうに、人の姿が見えてくるように感じることができます。そのためには、「誰に、この手紙を出すか」。相手を特定して、文章を考えることです。文章を考えている数分間は、相手のことが自分の心の中にあります。それが「心を込めた」文章となり、生き物となつて相手の心に届くのです。
 時には、〇〇さんと呼びかけることも、他の誰でもない、この自分に来たものだとの思いを強くするものです。特定の相手を決めないで書く文章は、独りよがり・自己満足となり、感動は充分伝わらない絵手紙となつてしまいます。相手の人影も見えない絵手紙です。
 「文体」も考えましょう。例えば私宛の文章に「今日も楽しい一日が始まる」と書いてあることがありましたが、「始まります」と書いてもらえれば、私はニコニコします。
 絵手紙の手紙としての「文体」は、話し言葉で口語体の方が、心が込もると思います。「字」も上手いヘタではなく、その人の字で書かれた文章からは、その人の声が聞こえ、体温や細かい息遣いが感じられるものです。

<第8話 学ぶことは、楽しく嬉しいこと>

 近頃、いちばん嬉しいことは 『学ぶことは、楽しく嬉しいこと』 の発見です。それは、昨年の絵手紙研究会から始めたことですが、従来は私一人が講師をしていましたが、私に代わり特別講師の皆さんに割り振って講師を勤めてもらうことにしました。内容と講師は会長の私が指定しました。必ずしもその人の得手でない絵手紙の描き方であっても、皆さんとても熱心に改めて勉強されて講師の任務を果たしました。受講者の皆さんも素直に受け入れて学んでくれたようです。
 このような「教えることは学ぶこと」を実行された、研究会講師の皆さんの反響はとても大きく、私のところまで「とても勉強になった」など、いろいろな形で伝わってきました。このところ、そのことがとても楽しく嬉しく、私の心を満たしています。
 私の座右の銘は「謙虚さ」です。謙虚さの奥には自信も必要です。自信は実力に裏打ちされて本物になると思います。何歳になっても「教えることは学ぶこと」は大事なことと、改めて学びました。

<第9話 建前でなく、すべて本音です>

 ふるさとの家から歩いて二十分の所に、「松本民芸館」があります。松本市の生んだ民芸研究家丸山太郎が、生涯をかけて収集した数々の収蔵品が展示されています。木々に囲まれ落着いた環境の中で、確かな美しい民芸品を充分に味わうことができます。
 目に止まったのは、丸山太郎が折々に「はがき」に描いた絵と文章の作品です。今で言うと絵手紙です。今から六十年程前に描かれたものなのでしょうか。二十枚程度の作品を拝見して感動を覚えました。例えば、どこかの国の壷を毛筆で形を措き、青と赤だけの彩色、添えた文章は「ありのままに生きたし」です。なんのてらいもなく、素朴というのか無欲なのか、私の絵手紙の反省にもなりました。
 ところで、私は考えや実際の講評を、建前と本音の区別はしていません。「どんな絵手紙でも、必ず良い箇所があります。それを発見して誉めましょう。」と私が主張するのは、建前ではありません。本音だからです。また、「絵手紙の絵はヘタでもかまわない」ということも、本音です。自分の絵手紙のダメな箇所は、自分でもわかっているものです。だから、大勢の人の前で欠点を講評するのは止めましょう、と私は本音で言います。ただ、一人対一人の時に尋ねられたら、私の感じたことを何でも助言します。絵手紙には建前はなく、すべて本音で通じ合いたいと思います。
 松本民芸館の 『丸山太郎の絵』を見ながら、「やはり絵手紙の絵は、プロの画家が描く上手い絵ではなく、普通の人間がありのままの素直な心で描いた絵がいちばんいいな」と感動したことを思い起こしています。

<第10話 何を描いて残しますか>

 パッションを感じたら描く。絵手紙の絵を描く時の前提です。人それぞれ好みが違うから、何を描くのも自由です。他の絵画のように展覧会に出展して、入選を目指す意図はないのだから、肩のカを抜いて自由奔放に描けることは幸せです。そして、絵手紙は切手を貼ってポストに投函すれば、郵便局が宛名に配達して、その後の所有権は私には自分ではなくなります。世界に一枚しかないこの手書きの絵手紙。後の世まで残るかも知れませんね。そんなことを想像すると、絵手紙はロマンです。人と人の心を結んだ手紙として語られますよ。楽しい夢ですね。
 ところで、「よくまあ、毎年春夏秋冬同じモチーフを描き続けていますね。飽きませんか」と言われます。多分一年一年、私自身が変化しているから飽きないのだろうと思います。変化は成長ですから。
 さて、新しい年。「テーマを決めて絵手紙を描く」ことに挑戦しませんか。例えば、「動物シリーズを描く」や「いろいろな魚を描く」とか「旅のスケッチ絵手紙を」などテーマはいっぱいあります。そして自分の決めたテーマを強い意志を持って追い求めると、新しい発見や絵手紙の描き方が深くなるのではないでしょうか。「一年の計は元旦にあり」と言われています。

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<第11話 「井の中の蛙」にならないように>
 終わってみるとこの冬は、長期予報に反して特別寒い、そして豪雪の気候でした。過ぎてしまえば、辛いことも思い出になってしまいますが、雪国の皆さんよく頑張りましたね。春、萌え出でる季節を迎え、お元気で絵手紙に取り組んでおられますか。私も、家族全員で過ごした新潟・小千谷の豪雪。そして雪の下から現れた黒い土と水仙やチューリップの緑、その感動を忘れることができません。これからも、一日に一つでもよいから感動を忘れないように生活してゆきたいと思います。
 ところで、最近ちょっと気にかかることがあります。それは「井の中の蛙、大海を知らず」の例えのような事例を見たり聞いたりして思う気持です。辞書を引くと「他に広い世界があることを知らずに、自分のまわりの狭い範囲だけで、ものを考えていることのたとえ」とあります。やはり、狭い地域の中だけで、狭い人間関係だけで絵手紙のやりとりをしていると展望がきかないので感動も少なくなると思います。
 考えてみれば、私たちは組織という輪を持つことで、自分の地域以外の遠い処の人たちとお互いに絵手紙で刺激し合い、人間的にも親しい関係を持てるようになりました。そして広い視野から自分の絵手紙はもちろんですが、さまざまな分野で考えることができるようになりました。広い世間にはいろいろな個性的な人々がいます。新しい刺激が必要です。これでよいと諦めたら退歩です。
 これからも努めて広い視野が持てるように、機会があれば積極的に出席し、広く交流をはかり、自分を肥やしていきましょう。絵手紙にも毎日の生活にも良い影響が必ず出てくると思います。

<第12話 手はいつも心と直接に>

 終わってみるとこの冬は、長期予報に反して特別寒い、そして豪雪の気候でした。過ぎてしまえば、辛いことも思い出になってしまいますが、雪国の皆さんよく頑張りましたね。春、萌え出でる季節を迎え、お元気で絵手紙に取り組んでおられますか。私も、家族全員で過ごした新潟・小千谷の豪雪。そして雪の下から現れた黒い土と水仙やチューリップの緑、その感動を忘れることができません。これからも、一日に一つでもよいから感動を忘れないように生活してゆきたいと思います。
 ところで、最近ちょっと気にかかることがあります。それは「井の中の蛙、大海を知らず」の例えのような事例を見たり聞いたりして思う気持です。辞書を引くと「他に広い世界があることを知らずに、自分のまわりの狭い範囲だけで、ものを考えていることのたとえ」とあります。
 やはり、狭い地域の中だけで、狭い人間関係だけで絵手紙のやりとりをしていると展望がきかないので感動も少なくなると思います。考えてみれば、私たちは組織という輪を持つことで、自分の地域以外の遠い処の人たちとお互いに絵手紙で刺激し合い、人間的にも親しい関係を持てるようになりました。
 そして広い視野から自分の絵手紙はもちろんですが、さまざまな分野で考えることができるようになりました。広い世間にはいろいろな個性的な人々がいます。新しい刺激が必要です。これでよいと諦めたら退歩です。これからも努めて広い視野が持てるように、機会があれば積極的に出席し、広く交流をはかり、自分を肥やしていきましょう。絵手紙にも毎日の生活にも良い影響が必ず出てくると思います。

<最終話 古いことでも大切なことがある>

 特別に暑い夏を過ごし、ようやく秋になりました。暑さに弱い私ですので、体力はダメージを受けましたが、脳の働きはまあまあ健康に過ごすことができたようです。この時期、いちばん感じたことは、「世代交代」ということでした。大正生れや私のような昭和一桁生れが、社会の表舞台から少なくなりました。戦争を知らない政治家が多くなり、憲法改悪の風が吹いてきました。これからの世の中はどうなっていくのか心配もありますが、戦後大きく変ったことは、女性が強くたくましくなったことですから、大丈夫でしょうね。
 さて、このところ絵手紙で感じたことは、「はがき」絵手紙の書き方のことです。絵手紙は「はがき」に描くことが多いのですが、私が目指す「心伝える絵手紙」の中味は、「はがき」の裏面に描く絵・絵に添えた言葉(文章)・そして表面の通信文の三箇所を総合した三位一体の表現を求めています。「はがき」の表も大事な要素です。「はがき」の表書きは、古い形式のようでもそれなりに大事な心がけがあります。

 第一は、受取人の郵便番号・住所・氏名をはっきり記入すること。
 第二は、余白に、裏面では書けなかった思いや出来事、近況そして相手への思いやりなどの手紙文を書きます。
 第三は、切手を貼った横と下は日付印 (スタンプ)を押す箇所ですから、自分の住所番地あるいは文章は記入しないこと。
 第四は、自分の郵便番号を記入しない人は、相手に対して思いやりの心に欠けると思います。